大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和34年(行モ)1号 決定 1959年3月24日

申請人 今田澄男

被申請人 広島県教育委員会

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

第一、申請の趣旨

「被申請人から申請人に対する昭和三十四年二月二十一日申請人を広島県安佐郡祗園町公立学校校長から同公立学校教員教諭に降任するとの行政処分の効力は広島地方裁判所昭和三十四年(行)第二号行政処分取消請求事件の本案判決をなすに至るまでこれを停止する。」との裁判を求める。

第二、申請の理由

一、申請人は昭和二十四年四月三十日広島県安佐郡祗園町長束小学校校長に任ぜられ、爾来その職にあつた者であるが、被申請人は昭和三十四年二月二十一日申請人に対し、申請の趣旨記載の如き降任処分を行い同日その旨の人事異動通知書を交付した。

二、しかし右降任処分は左記の理由により違法であり、その取消を免れないものである。

(一)  右人事異動通知書の記載によると「地方公務員法第二十八条第一項による降任」とあるのみで同条第一項第何号の処分であるか明らかでなく、又処分説明書の記載には「学校の予算執行その他の職務遂行に関し、しばしば職務上の上司の職務上の命令に違反する等校長としての適格性を欠くものと認められるによる」とあるのみで具体的事実の明示を欠くものである。公務員に対する分限処分の重要性に鑑みるも、当該公務員をしてその処分に対する去就を決定せしめ得る程度に適用条文、並びに処分事由が明示されるべきであつて、これを欠く本件処分は違法である。

被申請人は本件の意見書において申請人が校長として不適格である事由として具体的事実を追加して列挙しているが、処分後新たな事由を追加することは許されない。

(二)  仮りに処分の形式的な瑕疵が取消原因とならないとしても申請人には校長としての適格性を欠く事由は存在しない。

地方公務員法第二十八条第一項第三号にいう「その職に必要な適格性」とはその職員の占めている職についてその職務遂行上必要とされる能力、性格、態度等に関する一切の要素についての人の属性をいうものと解すべきところ、申請人は過去二十七年間教職にあり、昭和二十四年三十七才の若年の身を以て校長に任命されて以来十年間、忠実にその職務を遂行して来たものである。かかる全生涯を通じての教育に対する献身を顧みず又教育者としての教育に関する能力、経験、実績を重視せず単に性格や、上司に対する態度のみを以てその適格性を判断しているのは重大な誤りである。

しかも被申請人が本件処分の校長不適格性の具体的事実として挙げる処のものはその多くが事実に反し、偏見により過去に解決済の事を取上げ、或は小さな職務命令違反を理由とするもので、本件処分には多分に祗園町教育長個人或は同町教育委員等と申請人との間の過去のいきさつから来る個人的私憤が混入されている虞がある。

被申請人が本件申請事件において申請人の校長不適格の具体的事実として挙げるところは左記のとおりいずれも当を得ない。

(1) 申請人は昭和三十二年一月頃祗園町教育委員会の企図した長束小学校と原小学校の統合問題に関し委員会と反対の立場に立ち、長束小学校存置期成同盟の顧問に就任し、その存置に協力した結果その目的を達したことがあるが、(イ)政治的行為に奔走し本務を四ケ月に亘り顧みなかつたこと、(ロ)運動実施のため部下職員並びに児童を不当に酷使し公品を流用したこと、(ハ)反対的立場の人に対し傍若無人で威圧を加え反抗的侮蔑的言動に出たこと、(ニ)祗園町教育長が申請人に対し、統合反対の政治的活動に参加しないよう示達したのに拘わらず右職務上の命令を無視して右運動に参加したことの事実は何れも存在しない。前記反対運動の如きは国家公務員法、人事院規則において禁止する政治的行為には該当しない。

(2) 学校予算の執行についても申請人は職務上の上司の命令に違反したことはない。常に事前に了解又は承認を得ていたが只急を要し且つ止むを得ないもので必要欠くべからざるものに限り若干事後承諾を得るの止むなきに至つたものがあるにすぎない。

(イ) 昭和二十七年度の水道工事の件については当時のPTAが企画し、その負担に於いて施行することとなつていたところ、竣工後PTAが町費の支出を希求したところから事後承認を得る形となつたもので、譴責の措置を受けたことはなく単に形式上注意を受けたに止まる。

(ロ) 生徒褒賞費の支出については昭和三十二年度卒業生の褒賞につき祗園町内小学校校長会において定つたところ長束小学校のみこれを出さない訳に行かなかつたので事前承認を得ず購入するに至つたものである。その他の備品についても必要止むを得ない理由によるもので、特に食器の購入については腐蝕のため使用に耐えず、一日も備付を猶予し得ないものであつた為である。

(ハ) 昭和三十三年五月一日以後の購入は禀議を得て居り独断で購入した事実はない。

木炭の購入については一括購入の通知を受けなかつたものである。

(3) 勤務評定問題に関して、申請人が勤務評定書の提出期限(町教育委員会は十月十日、県教育委員会は同月二十日)を過ぎる昭和三十三年十月二十九日に条件評定書及び定期評定書を祗園町教育委員会に提出したことは相違ないが、右遅延は次の理由による。地方教育行政の組織及び運営に関する法律によれば勤務評定者は市町村教育委員会であるところ、同委員会に対して何等の監督権を有しない県教育委員会規則によれば校長たる申請人に対し勤務評定を命じて居り右規則はその点で無効であると解せざるを得ないので申請人は右命令に服従する義務がないと思料したのと、他方勤務評定の内容に疑義があつた為、昭和三十三年七月十一、二十四日及び八月十一日の三回に亘り祗園町教育委員会及び教育長に対し、回答を求めたが右回答を得られないまま提出期限を徒過し、同年十月二十五日右教育長を訪れ回答を求めたがこれも得られず、申請人は不満であつたが部下職員のために一応提出することとし、同月二十九日これを提出するに至つたものである。

形式上提出期限を経過しているがこれを目して校長としての適格性を欠く職務命令違反ありとはいえない。

三、本件降任処分の効力を停止しなければ償うことのできない損害がありこれを避けるため本案判決があるまで待つことのできない緊急の必要性がある。

(一)  申請人は本件降任処分により社会的信用を失墜し教育家としての生命が抹殺されようとしている。かかる状態が一日でも長く続くことは単に精神的に苦痛であるのに止まらずこうした社会的評価を失うことは償うことのできない損害である。

(二)  申請人は校長として管理職手当(月額二千百八十円)の支給を受けつつあり本件降任処分により当然これを失うこととなるところ、更に将来右手当は増額をみる趨勢にあり、右増額部分を受ける権利を喪失する。

(三)  又申請人は広島地方裁判所に対し、勤務評定義務不存在確認訴訟(昭和三三年(行)第一〇号)を提起し右訴は現に繋属中であるが、本件降任処分の帰結如何によつては右訴訟における当事者適格を喪失することは必定であつて、申請人は右処分の執行により償うことのできない損害を蒙る虞がある。

(四)  時あたかも学年末を控えて本件降任処分を受けたため、申請人は入学以来六年間に亘り訓とうしてきた多数の児童を校長として卒業させることを得ず、又児童及びの修業式すら挙行できない。右は申請人のみならず児童その父兄にとつても償うことのできない損害である。

(五)  本件処分により申請人は自己及び他の職員に関し、校長としての身分上の意見具申をする機会を喪うこととなり、償うことのできない損害を蒙る虞がある。

第三、当裁判所の判断

一、訴願前置の問題について

本件の本案訴訟として当庁昭和三十四年(行)第二号行政処分取消訴訟事件が係属していることは当裁判所に顕著な事実であつて、右訴が行政事件訴訟特例法第二条にいう審査請求の裁決を経ていないことは申請人の自認するところである。疏明によると申請人は昭和三十四年二月二十七日広島県人事委員会に対して本件処分の審査請求をしたところ、当時同委員会を構成する三名の委員中原委員長は同年二月二十三日辞任し、竹内委員は昭和三十三年九月末以来病臥欠勤中であつてにわかに審査を受け得ない事情にあつたことが認められ、一方申請人は教育者として本件降任処分を受けたことにより社会的信用を傷つけられ、著しい精神的苦痛を蒙つていることは容易に看取できるのであつて申請人において本件につき裁決を経ない侭、訴提起に至つたことは正当な事由があるものといわなければならない。

二、行政処分の執行停止の対象について

行政事件訴訟特例法第十条の処分の執行とは同条が権利保護の制度であることに鑑み、本来の意義の執行即わち行政処分の内容を実現する作用に限らず行政処分の観念的な効力が事実上実現することを停止することをも含むものと解釈するのが相当である。そうすると本件行政処分についてもその執行停止を申立てることは許されるものといわなければならない。

三、本件処分の形式的違法の有無について

申請人は本件処分に理由の明示を欠くと主張し疏明によると人事異動通知書には「地方公務員法第二十八条第一項による降任」とあるのみで他の理由の記載はなく書面の上でこれと一体をなす処分説明書によると処分の事由として「学校の予算執行その他の職務遂行に関し、しばしば職務上の上司の職務上の命令に違反する等校長としての適格性を欠くものと認められるによる」とあることが認められる。元来行政処分に理由を付することは特に法に明文のない以上要求されていないと解すべきところ、本件降任処分については地方公務員法第二十八条第三項に基き定められた「職員の分限に関する手続及び効果に関する条例(昭和二十六年八月一日広島県条例第二十五号)第二条第二項により「職員の意に反する降任若しくは免職又は休職の処分はその旨を記載した書面を当該職員に交付して行わなければならない」とされ右にいう書面とは降任又は免職する旨を記載した書面の意であつて、その理由の記載は要求されていないことが明らかである。従つて理由の記載のないことは本件処分の効力に消長を来さないものといわなければならない。

なお申請人は処分説明書に記載しない処分事由の追加は許されないというが処分庁が右処分の適法、有効の根拠となる処分事由の一切を挙げて主張し、裁判所の判断に供することは妨げないというべきであるからら、申請人の主張は理由がない。

四、本件処分の実質的違法の有無について

本件処分の実質的な内容につき違法があるか否かの点については本案訴訟において確定されるべき事であつて本件で断定すべき限りではないが、申請人の請求に一応の理由があるか否かを疏明に基いて案ずると本件処分事由は大別して、(イ)学校統合問題、(ロ)学校予算の執行問題、及び(ハ)勤務評定問題における申請人の直接の上司である祗園町教育委員会及び教育長の職務命令違反及びその他の不服従にあるということができるる。

(イ)  疏明によれば申請人が昭和三十二年一月頃から、祗園町教育委員会の方針であり、その後同委員会に於いて正式に決定した処の祗園町長束小学校と同町原小学校との統合問題に対し右委員会と反対の立場に立つて、地元PTAと共に統合反対運動の陣頭に立つて尽力し、その際、申請人において長束小学校長として必ずしも穏当でない言動があつたけれども、右統合問題は同年十月十日広島県知事の調停により統合を見合わすことをもつて一応解決した問題である事が認められる。

(ロ)  疏明によれば申請人は長束小学校の予算執行の上においても上司の指示にそごした事実があつたけれども、右は比較的軽微であつて本件処分以前に町教育委員会の事後承認により解決済みであることが一応認められる。

(ハ)  申請人が勤務評定書の提出期限(町教育委員会は昭和三十三年十月十日、県教育委員会は同月二十日)を徒過して同月二十九日に条件評定書及び定期評定書を祗園町教育委員会に提出したこと、これより先申請人において他の数名の者と共に被申請人を相手にして勤務評定義務不存在確認の訴(当庁昭和三十三年(行)第一〇号)を提起して現在繋争中であることは申請人の自認するところである。

以上の事実を綜合すると前記勤務評定書提出遅延という職務命令違反が本件降任処分の主たる処分事由であることが推認できるのであつて、これを本件降任処分の内容及びその処分時期と対比すれば、被申請人の本件降任処分は必ずしも当を得たものとはいい難いけれども、本件処分が違法であるとはにわかに断定し難いところである。

五、執行停止の必要性について

本件処分の執行を停止しなければ申請人について償うことのできない損害を生じ、これを避けるため緊急の必要性があるか否かを判断するのに、申請人が本件降任処分によつて教育家としての社会的信用を失墜しその精神的苦痛が甚大であることは一応肯認するに難くないところであるが、他面教職員の人事行政の混乱を避けこれを収束、確立することも肝要であつて、前述の如きいきさつのもとになされた本件処分の執行停止については少くとも第一審の本案判決を待てない程度の緊急の必要性があるとは認められない。

申請人は他に本件処分の結果管理職手当(月額二千百八十円)を失う他、近く増額される分をも失うことになると主張するが、右は将来金銭を以て償うことのできる財産上の損害に他ならない。更に申請人が、校長として当庁に提起している勤務評定義務不存在確認訴訟の原告適格を失つて訴訟継続ができなくなるとか、今年度卒業式にあたり、六年間訓とうして来た児童に校長として卒業証書を授与することができないとか又、年度末に於いて校長としての意見具申の機会を失うという事を主張しているが、本件執行停止の対象となる損害は個人の権利又は利益に対する損害をいうもので、機関としての地位に伴う権限を行使できないという事は右損害にあたらないと解する。

六、結論

以上説示のとおり本件執行停止の申請はこれを認容することができないからこれを却下することとし主文のとおり決定する。

(裁判官 宮田信夫 長谷川茂治 土井博子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例